だ。
元が用があつて探しに來たのでも無いのだから、その儘家路を急いだ。母は二三日前からまた枕に就いた。父は留守。其處へ饒舌《おしやべり》の叔母が子供達と共に泊りに來たのが、今朝も信吾は其叔母に捉まつて出懸けかねた。吉野は昌作を伴れて出懸けた。午後になつて父が歸ると、信吾は何となく吉野と智惠子の事が氣に掛つた。それは一つは退屈だつた爲めでもある。
も一つには、その二人が自分の紹介も待たずして知己になつたのが、譯もなく不愉快なのだ。隱して置いた物を他人に勝手に見られた樣な感じが、信吾の心を焦立《いらだた》せてゐる。
『今日は奈何して、あゝ冷淡だつたらう?』と、智惠子の事を考へ乍ら、信吾は強く杖を揮つて、路傍の草を自暴《やけ》に薙ぎ倒した。
其九
一
叔母一行が來て家中が賑つてる所へ夕方から村の有志が三四人、門前寺の梁《やな》に落ちたといふ川鱒を持つて來て酒が始つたので、病床のお柳までが鉢卷をして起きるといふ混雜、客自慢の小川家では、吉野までも其席に呼出した。燈火の點く頃には、少し酒亂の癖のある主人の信之が、向鉢卷をしてカッポレを踊り出した。
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