たかなア!』
智惠子は默つて了つた。
『盛岡でお逢ひになつたんですつてね、吉野に?』
『え。渡邊さんといふお友達の家に參りましたが、その方の兄さんとお親しい方だとかで……あの、些とお目に懸つたんで御座います。』
「巧く言つてやがらア、畜生奴!」と心の中。『甚※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2−94−57]男です、貴女の見る所では?』
智惠子は不快を感じて來た。『奈何ツて、別に……。』
『僕はあゝした男が大好《だいすき》ですよ。僕の知つてる美術家連中も少くないが、吉野みたいな氣持の好い、有望な男は居ませんよ……。』と、信吾は誇張した言方をして、女の顏色を見る。
『然うで御座いますか。』と言つた限《きり》、智惠子は眞面目な顏をしてゐる。
話は遂にはずまなかつた。智惠子には若しや恁うしてる所へ其人が來はせぬかといふ心配がある。そして、其人に關する事を言ひ出されるのが、何がなしに侮辱されてる樣な氣がする。信吾は信吾で、妙に皮肉な考へ許り頭に浮んだ。
それでも、四十分許り向ひ合つてゐて不圖氣が附いた樣にして信吾はその家を辭した。
『畜生奴!』恁う先づ心に叫ん
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