》とはなく中絶してゐた英語の独修を続ける事や、最も所好《すき》な歴史を繰返して読む事や、色々あつたが、信吾の持つて帰つた書《ほん》を可成《なるべく》沢山借りて読まうといふのも其《その》一《ひとつ》であつた。
今日は折柄の日曜日、読了へたのを返して何か別の書《ほん》を借りようと思つて、まだ暑くならぬ午前の八時頃に小川家を訪ねたのだ。
直ぐ帰る筈だつたのが無理に引留められて、昼餐《ひるめし》も御馳走になつた。午後はまた余り暑いといふので、到頭四時頃になつて、それでも留めるのを漸くに暇乞して出た。田舎の素封家《ものもち》などにはよくある事で、何も珍しい事のない単調な家庭では、腹立しくなるまで無理に客を引き留める、客を待遇《もてな》さうとするよりは、寧ろそれによつて自分らの無聊《ぶれう》を慰めようとする。
平生《いつも》の例で静子が送つて出た。糊も萎《な》えた大形の浴衣《ゆかた》にメリンスの幅狭い平常帯《ふだんおび》、素足に庭下駄を突掛けた無雑作な扮装《なり》で、己が女傘《かさ》は畳んで、智恵子と肩も摩れ/\に睦しげに列んだ。智恵子の方も平常着ではあるが、袴を穿いてゐる。何時しか二人はモウ鶴飼橋の上に立つた。
此処は村での景色を一処《ひとところ》に聚《あつ》めた。北から流れて来る北上川が、観音下の崖に突当つて西に折れて、透徹る水が浅瀬に跳つて此吊橋の下を流れる。五六町行つて、川はまた南に曲つた。この橋に立てば、川上に姫神山、川下に岩手山、月は東の山にのぼり、日は西の峰に落つる。折柄の傾いた赤い日が宙に浮んだ此橋の影を、虹の影の如く川上の瀬に横たへて。
南岸《みなみぎし》は崖になつてゐるが、北の岸は低く河原になつて、楊柳《やなぎ》が密生してゐる。水近い礫《こいし》の間には可憐《いたいけ》な撫子《なでしこ》が処々に咲いた。
二人は鋼線《はりがね》を太い繩にした欄干に靠《もた》れて西日を背に享け乍ら、涼しい川風に袂を嬲《なぶ》らせて。
『ソーラ、彼《あれ》は屹度《きつと》昌作さんよ。』と、静子は今しも川上の瀬の中に立つてゐる一人の人を指さした。鮎を釣《か》けてゐるのであらう、編笠を冠つた背の高い男が、腰まで水に浸《つか》つて頻りに竿を動かしてゐる。種鮎《たねあゆ》か、それとも釣《かか》つたのか、ヒラリと銀色の鰭《うろこ》が波間に躍つた。
『だつて、昌作さんが那※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2−94−57]《あんな》!』と智恵子も眸を据ゑた。
『アラ、鮎釣《あゆかけ》には那※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2−94−57]|扮装《なり》して行くわ、皆《みんな》。……昌作さんは近頃毎日よ。』
と言つてる時、思ひがけなくも轢々《ごろごろ》といふ音響《ひびき》が二人の足に響いた。
一台の俥が、今しも町の方から来て橋の上に差懸つたのだ。二人は期せずして其《その》方《はう》に向いたが、
『アラ!』と静子は声を出して驚いて忽ち顔を染めた。女心は矢よりも早く、己《おの》が服装《みなり》の不行儀《ふしだら》なのを恥ぢたので。
(五)の四
近《ちかづ》く俥の音は遠雷の如く二人の足に響いて、吊橋は心持揺れ出した。
洋服姿の俥上の男は、麦藁帽の頭を俯向《うつむ》けて、膝の上の写真帖《スケツチブツク》に何やら書いてゐる――一目見て静子は、兄の話で今日あたり来るかも知れぬと聞いた吉野が、この人だと知つた。好摩《かうま》午後三時着の下り列車で着いて、俥だから線路伝ひの近道は取れず、態々《わざわざ》本道を渋民の町へ廻つて来たものであらう。智恵子も亦《また》、話は先刻《さつき》聞いたので、すぐそれと気が付いた。
『お嬢様《ぢやうさあ》、お嬢様|許《とこ》のお客様を乗せて来ただあ。』と、車夫の元吉は高い声で呼びかけ乍ら轅《かぢ》を止めて、
『あれがハア、小川様のお嬢様《じやうさあ》でがンす。』と俥上の人に言ふ。顔一杯に流れた汗を小汚い手拭でブルリと拭つた。
智恵子は、自分がその小川家の者でない事を現す様に、一足後へ退《すさ》つた。その時、傍《かたへ》の静子の耳の紅くなつてゐる事に気がついた。
『あ、然《さ》うですか。』と、俥上の人は鉛筆を持つた手で帽子を脱《と》つて、
『僕は吉野|満太郎《みつたらう》です。小川が――小川君が居ませうか?』
と武骨な調子で言ふ。
『ハ。』と静子は塞《つま》つた様な声を出して、『アノ、今日あたりお着き遊ばすかも知れないと、お噂致して居りました。』
『然うですか。ぢや手紙が着いたんですね?』と親げな口を利いたが、些《ちよい》と俯向加減にして立つてゐる智恵子の方を偸視《ぬす》んで、
『失礼しました、俥の上で。……お先に。』と挨拶する。
『私こそ……。』と静子は初心《うぶ》に口の中で言つて頭を下げた。
『ドツコイシヨ。』と許り、元吉は俥を曳出《ひきだ》す。二人は其《その》背後《あと》を見送つて呆然《ぼんやり》立つてゐた。
吉野は、中背の、色の浅黒い見るから男らしく引緊つた顔で、力ある声は底に錆《さび》を有《も》つた。すぐ目に付くのは、眉と眉の間に深く刻まれた一本の皺で、烈しい気性の輝く眼は、美術家に特有の、何か不安らしい働きをする。
俥が橋を渡り尽すと、路は少し低くなつて、繁つた楊柳《やなぎ》の間から、新しい吉野の麦藁帽が見える。橋はその時まで、少し揺れてゐた。
『私、甚※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2−94−57]《どんな》に困つたでせう、這※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2−94−57]《こんな》扮装《なり》をしてゐて!』と静子は初めて友の顔を見た。
『其※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2−94−57]《そんな》に! 誰だつて平常《ふだん》には……』と慰め顔に言つて、
『貴女の許《とこ》は、これからまた賑かね。』
其《それ》は真《ほん》の、ウツカリして言つたのだが、智恵子の眼は実際羨まし相であつた。
『アラ、だから貴女も毎日|被来《いらつしや》いよ。これからお休暇《やすみ》なんですもの。』
『有難う。』と言つて、『私モウお別れするわ。何卒《どうぞ》皆様に宜敷!』
『一寸《ちよいと》。』とその袂を捉へて、『可いわよ、智恵子さん、モ少し。』
『だつて。那※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2−94−57]《あんな》に日が傾いちやつた。』と西の空を見る。眼は赤い光を宿して星の様に若々しく輝いた。
『構はないぢやありませんか、智恵子さん。家へ被来《いらつしや》いな再《また》!』
『この次に。』と智恵子は沈着《おちつ》いた声で言つて、『貴女も早くお帰りなすつたが可《い》いわ。お客様が被来《いらつしや》つたぢやありませんか。』と妹にでも言ふ様に。
『アラ、私のお客様ぢやなくつてよ。』と、静子は少し顔を染めた。心では、吉野が来た為に急いで帰つたと思はれるのが厭だつたので。
それで、智恵子が袂を分つて橋を南へ渡り切るまでも、静子は鋼線《はりがね》の欄《てすり》に靠《もた》れて見送つてゐた。
智恵子は考へ深い眼を足の爪先に落して、帰路《かへりぢ》を急いだが、其心にあるのは、例《いつも》の様に、今日一日を空《むだ》に過したといふ悔ではない。神は我と共にあり! と自ら慰め乍らも、矢張、静子が何がなしに羨まれた。が、宿の前まで来た頃は、自分にも解らぬ一種の希望が胸に湧いてゐた。
で、家に入るや否や、お利代に泣付いて何か強請《ねだ》つてゐる五歳《いつつ》の新坊を、矢庭に両手で高く差上げて、
『新坊さん、新坊さん、新坊さん、奈何《どう》したんですよウ。』
と手荒く擽《くすぐ》つたものだ。
新坊は、常にない智恵子の此挙動に喫驚《びつくり》して、泣くのは礑《はた》と止めて不安相に大《おほき》く眼を※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]《みは》つた。
(六)の一
静子の縁談は、最初、随分|性急《せつかち》に申込んで来て、兎も角も信吾が帰つてからと返事して置いたのが、既に一月、怎《ど》うしたのか其儘《そのまま》になつて、何の音沙汰もない、自然、家でも忘られた様な形勢《かたち》になつてゐた。
結局それが、静子にとつては都合がよかつた。母のお柳が、別に何処が悪いでなくて、兎角|優《すぐ》れぬ勝の、口小言のみ喧《やかま》しいのへ、信吾は信吾で朝晩の惣菜まで、故障を言ふ性《たち》だから、人手の多い家庭《うち》ではあるが、静子は矢張日一日何かしら用に追はれてゐる。それも一つの張合になつて、兄が帰つてからといふもの、静子はクヨ/\物を思ふ心の暇もなかつた。
一体この家庭《うち》には妙な空気が籠つてゐる。隠居の勘解由《かげゆ》はモウ六十の坂を越して体も弱つてゐるが、小心な、一時間も空《むだ》には過されぬと言つた性《たち》なので、小作に任せぬ家の周囲《まはり》の菜園から桑畑林檎畑の手入、皆自分が手づから指揮《さしづ》して、朝から晩まで戸外《そと》に居るが、その後妻のお兼とお柳との関係《なか》が兎角面白くないので、同じ家に居ながらも、信之親子と祖父母や其子等(信之には兄弟なのだが)とは、宛然《さながら》他人の様に疎々《うとうと》しい。一家顔を合せるのは食事の時だけなのだ。
それに父の信之は、村方の肝煎《きもいり》から諸交際《しよつきあひ》、家《うち》にゐることとては夜だけなのだ。従つて、癇癪持のお柳が一家の権を握つて、其|一顰《いちびん》一笑《いつせう》が家の中を明るくし又暗くする。見よう見まねで、静子の二人の妹――十三の春子に十一の芳子、まだ七歳《ななつ》にしかならぬ三男の雄三といふのまで、祖父母や昌作、その姉で年中|病床《とこ》についてゐるお千世《ちせ》などを軽蔑する。其※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2−94−57]《そんな》間《なか》に立つてゐる温和《おとな》しい静子には、それ相応に気苦労の絶えることがない。実際、信吾でも帰つて色々な話をしてくれたり、来客でもなければ、何の楽みもないのだ。尤も、静子は譬へ甚※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2−94−57]《どんな》事があつても、自分で自分の境遇に反抗し得る様な気の強い女ではないのだが。
画家の吉野満太郎が来たのは、又しても静子に一つの張合を増した。吉野の、何処か無愛相な、それでゐてソツのない態度は、先づ家中《うちじゆう》の人に喜ばれた。左程長くはないが、信吾とは随分親密な間柄で、(尤も吉野は信吾を寧ろ弟の様に思つてるので)この春は一緒に畿内《きない》の方へ旅もした。今度はまた信吾の勧めで一夏を友の家に過す積りの定《きま》つた職業《しごと》とてもない、暢気《のんき》な身上なのだ。
言ふまでもなく信吾は、この遠来の友を迎へて喜んだ。それで不取敢《とりあへず》離室《はなれ》の八畳間を吉野の室《へや》に充てて、自分は母屋の奥座敷に机を移した。吉野と兄の室の掃除は、下女の手伝もなく主《おも》に静子がする。兎角、若い女は若い男の用を足すのが嬉しいもので。
それ許りではない、静子にはモ一つ吉野に対して好感情を持つべき理由があつた。初めて逢つた時それは気が付いたので。吉野は顔容《かほかたち》些《ちつ》とも似ては居ないが、その笑ふ時の目尻の皺が、怎《ど》うやら、死んだ浩一――静子の許嫁――を思出させた。
生憎《あいにく》と、吉野の来た翌日から、雨が続いた。それで、客も来ず、出懸ける訳にもいかず、二日目三日目となつては吉野も大分《だいぶ》退屈をしたが、お蔭で小川の家庭《うち》の様子などが解つた。昌作も鮎釣《あゆかけ》にも出られず、日に幾度となく吉野の室を見舞つて色々な話を聞いたが、画の事と限らず、詩の話、歌の話、昌作の平生《ふだん》飢ゑてる様な話が多いので、モウ早速吉野に敬服して了つた。
降りこめた雨が三十一日(七月)の朝になつて
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