7]《あんな》に生れついちやお気毒なもんですね。顔だつても綺麗だし、話して見ても色ンな事を知つてますが……。』
『えゝえゝ。』とお柳は俄かに真面目臭つた顔をして、『それやモウ山内さんなんぞは、体こそ那※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2−94−57]でも、兎に角一人で喰つて行くだけの事をしてらつしやるんだから立派なもので御座いますが、家《うち》の昌作叔父さんと来たらマア怎《ど》うでせう! 町の人達も嘸《さぞ》小川の剰《あまさ》れ者だつて笑つてるだらうと思ひましてね。』
『其※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2−94−57]ことは御座いません……。』
と加藤が何やら言はうとするのを、お柳は打消す様にして、
『学校は勝手に廃《や》めて来るし、那《ああ》して毎日|碌々《ごろごろ》してゐて何をする積りなんですか。私は這※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2−94−57]《こんな》性質《たち》ですから諄々《つべこべ》言つて見ることも御座いますが、人の前ぢや眼許りパチクリ/\さしてゐて、カラもう現時《いま》の青年《わかいもの》の様ぢやありませんので。お宅にでも伺つた時は何とか忠告して遣つて下さいましよ。』
『ハハヽヽ。否《いや》、昌作さんにした所で何か屹度大きい御志望を有《も》つて居られるんでせうて。それに何ですな、譬へ何を成さるにしても、あの御体格なら大丈夫で御座いますよ。……昌作さんもナンですが、(と信吾を見て)失礼乍ら貴君《あなた》も好い御体格ですな。五寸……六寸位はお有りでせうな? 何方《どちら》がお高う御座います?』
気の無い様な顔をして煙を吹いてゐた信吾は、
『さあ、何方《どつち》ですか。』と、吐月峯《はいふき》に莨の吸殻を突込む。
『何方《どつち》もモウ背許り延びてカラ役に立ちませんので、……電信柱にでも売らなけや一文にもなるまいと申してゐますんで。ホホヽヽヽ。』と、お柳は取つて付けた様に高笑ひする。加藤も為方《しかた》なしに笑つた。
十分許り経つて加藤は自転車で帰つて行つた。信吾は玄関から直ぐに書斎の離室《はなれ》へ引返さうとすると、
『信吾や、先《ま》ア可いぢやないか。』と言つて、お柳は先刻《さつき》の座敷に戻る。
『お父様《とうさん》は今日も役場ですか?』と、信吾は縁側に立つて空を眺めた。
『然うだとさ、何の用か知らないが……町へ出さへすれや何日《いつ》でも昨晩《さくばん》の様に酔つぱらつて来るんだよ。』と、我子の後姿を仰ぎ乍ら眉を顰める。
『為方がない、交際《つきあひ》だもの。』と投げる様に言つて、敷居際に腰を下した。
『時にね。』とお柳は顔を柔《やはら》げて、『昨晩の話だね、お父様のお帰りで其儘《そのまんま》になつたつけが、お前よく静に言つてお呉れよ。』
『何です、松原の話?』
『然うさ。』と眼をマヂ/\する。
信吾は霎時《しばらく》庭を眺めてゐたが、
『マア可いさ。休暇中に決めて了つたら可いでせう?』と言つて立上る。
『だけどもね…………。』
『任して置きなさい。俺も少し考へて見るから。』と叱付ける様に言つて、まだ何か言ひたげな母の顔を上から見下した。
そして我が室《へや》へは帰らずに、何を思つてか昌作の室の方へ行つた。
(三)の三
穢苦《むさくる》しい六畳間の、西向の障子がパツと明るく日を享《う》けて、室一杯に莨《たばこ》の煙が蒸した。
信吾が入つて来た時、昌作は、窓側の机の下に毛だらけの長い脛を投げ入れて、無態《ぶざま》に頬杖をついて熱心に喋つてゐた。
山内謙三は、チヨコナンと人形の様に坐つて、時々死んだ様に力のない咳をし乍ら、狡《ずる》さうな眼を輝かして穏《おとな》しく聞いてゐる。萎えた白絣の襟を堅く合せて、柄に合はぬ縮緬《ちりめん》の大幅の兵子帯を、小い体に幾廻《いくまはり》も捲いた、狭い額には汗が滲んでゐる。
二人共、この春徴兵検査を受けたのだが、五尺|不足《たらず》の山内は誰《た》が目にも十七八にしか見えない。それでゐて何処か挙動《ものごし》が老人染みてもゐる。昌作の方は、背の高い割に肉が削《そ》げて、漆黒《まつくろ》な髪を態《わざ》とモヂヤ/\長くしてるのと、度の弱《ひく》い鉄縁の眼鏡を掛けてるのとで二十四五にも見える。
『……然うぢやないか、山内さん。俺は那時《あのとき》、奈何《どう》してもバイロンを死なしたくなかつた。彼にして死なずんばだな。山内さん、甚※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2−94−57]《どんな》偉い事をして呉れたか知れないぢやないか! それを考へると俺は、夜寝ててもバイロンの顔が……』と景気づいて喋つてゐた昌作は、信吾の顔を見ると神経的に太い眉毛を動かして、
『実に偉い!』と俄かに言葉を遁がした。そして可厭《いや》な顔をして、口を噤《つぐ》んだ。
信吾はニヤ/\笑ひ乍ら入つて来て、無雑作に片膝を付く。と見ると山内は喰かけの麦煎餅の遣場《やりば》に困つた様に、臆病らしくモヂ/\して、顔を赧めて頭を下げた。
『貴君《あなた》は山内さんですね?』と、信吾は鷹揚に見下す。
『ハ。』と復《また》頭を下げて、其拍子に昌作の方をチラと偸視《ぬす》む。
『何です、昌作さん? 大分《だいぶ》気焔の様だね。バイロンが怎《ど》うしたんです?』と信吾は矢張ニヤ/\して言ふ。
『怎うもしない。』と、昌作は不愉快な調子で答へた。
『怎うもしない? ハヽヽ。何ですか、貴君《あなた》もバイロン崇拝者で?』と山内を見る。
『ハ、否《いいえ》。』と喉が塞つた様に言つて、山内は其狡さうな眼を一層狡さうに光らして、短かい髯を捻つてゐる信吾の顔を閃《ちら》と見た。
『然うですか。だが何だね、バイロンは最《も》う古いんでさ。辺※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2−94−57]《あんな》のは今ぢや最《も》う古典《クラシツク》になつてるんで、彼国《むかう》でも第三流位にしきや思つてないんだ。感情が粗雑で稚気があつて、独《ひとり》で感激してると言つた様な詩なんでさ。新時代の青年が那※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2−94−57]《あんな》古いものを崇拝してちや為様《しやう》が無いね。』
『真理と美は常に新しい!』と、一度砂を潜つた様にザラ/\した声を少し顫して、昌作は倦怠相《けだるさう》に胡坐《あぐら》をかく。
『ハツハヽヽ。』と信吾は事も無げに笑つた。『だが何かね? 昌作さんはバイロンの詩を何《ど》れ/\読んだの?』
昌作の太い眉毛が、痙攣《ひきつ》ける様にピリリと動いた。山内は臆病らしく二人を見てゐる。
『読まなくちや為様が無い!』と嘲る様に対手の顔を見て、
『読まなくちや崇拝もない。何処を崇拝するんです?』と揶揄《からか》ふ様な調子になる。
『信吾や。』と隣の室からお柳が呼んだ。
『富江さんが来たよ。』
昌作はヂロリと其《その》方《はう》を見た。そして信吾が山内に挨拶して出てゆくと、不快な冷笑を憚りもなく顔に出して、自暴《やけ》に麦煎餅を頬張つた。
次の間にはお柳が不平相な顔をして立つてゐて、信吾の顔を見るや否や、
『何だねお前、那※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2−94−57]《あんな》奴等の対手になつてさ! 九月になれや何処かの学校へ代用教員に遣るツて、阿父様《おとうさん》が然《そ》言つてるんだから、那※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2−94−57]|愚物《ばか》にや構はずにお置きよ。お前の方が愚物《ばか》になるぢやないか!』と、険のある眼を一汐《ひとしほ》険しくして譴《たしな》める様に言つた。
彼方《むかう》の室からは子供らの笑声に交つて、富江の噪《はしや》いだ声が響いた。
(四)の一
遠くから見ただけの人は、智恵子をツンと取済した、愛相のない、大理石の像の様に冷い女とも思ふ。が、一度近づいて見ては、その滑かな美しい肌の下、晴朗《ぱつちり》とした黒味勝《くろみがち》の眼の底の、温かい心を感ぜずには居られぬ。
同情《おもひやり》の深い智恵子は、宿の子供――十歳《とを》になる梅ちやんと五歳《いつつ》の新坊――が、モウ七月になつたのに垢|染《じ》みた袷を着て暑がつてるのを、例《いつも》の事ながら見るに見兼ねた。
今日は幸ひの土曜日、授業が済むと直ぐ帰つた。そして、帰途《かへりしな》に買つて来た――一円|某《なにがし》の安物ではあるが――白地の荒い染の反物を裁つて、二人の単衣を仕立に掛つた。
障子を開けた格子窓の、直ぐ下から青田が続いた。其青田を貫いて、此《この》家《や》の横から入つた寺道が、二町許りを真直《ましぐら》に、宝徳寺の門に隠れる。寺を囲んで蓊欝《こんもり》とした杉の木立の上には、姫神山が金字塔《ピラミツト》の様に見える。
午後の日射は青田の稲のそよぎを生々と照して、有《ある》か無《なき》かの初夏《はつなつ》の風が心地よく窓に入る。壁一重の軒下を流れる小堰《こぜき》の水に、蝦を掬ふ小供等の叫び、さては寺道を山や田に往返《ゆきかへ》りの男女の暢気《のんき》な濁声《だみごゑ》が手にとる様に聞える――智恵子は其聞苦しい訛にも耳慣れた。去年の秋転任になつてから、モウ十ヶ月を此村に過したので。
隣室からは、床に就いて三月にもなる老女《としより》の、幽かな呻声が聞える。主婦《あるじ》のお利代は、盥《たらひ》を門口に持出して、先刻《さきほど》からバチヤ/\と洗濯の音をさしてゐる。
智恵子は白い布《きれ》を膝に被《か》けて、余念もなく針を動かしてゐた。
小供の衣服《きもの》を縫ふ――といふ事が、端《はし》なくも智恵子をして亡き母を思出させた。智恵子は箪笥の上から、葡萄色《えびいろ》天鵞絨《ビロウド》の表紙の、厚い写真帖を取下して、机の上に展いた。
何処か俤《おもかげ》の肖通《にかよ》つた、四十許の品の良い女の顔が写されてゐる。
智恵子はそれに懐し気な眼を遣り乍ら針の目を運んだ。亡き母!……智恵子の身にも悲しき追憶《おもひで》はある。
生れたのは盛岡だと言ふが、まだ物心付かぬうちから東京に育つた──父が長いこと農商務省に技手《ぎしゆ》をしてゐたので――十五の春|御茶水《おちやのみづ》の女学校に入るまで、小学の課程は皆東京で受けた。智恵子が東京を懐しがるのは、必ずしも地方に育つた若い女の虚栄と同じではなかつた。
十六の正月、父が俄かの病で死んだ。母と智恵子は住み慣れた都を去つて、盛岡に帰つた。――唯一人の兄が県庁に奉職してゐたので。――浮世の悲哀《かなしみ》といふものを、智恵子は其時から知つた。間もなく母は病んだ。兄には善からぬ行為《おこなひ》があつた。智恵子は学校にも行けなかつた。教会に足を入れ初めたのは其頃で。
長患ひの末、母は翌年《あくるとし》になつて遂に死んだ。程なくして兄は或る芸妓《げいしや》を落籍《ひか》して夫婦《いつしよ》になつた。智恵子は其賤き女を姉と呼ばねばならなかつた。遂に兄の意に逆《さから》つて洗礼を受けた。
智恵子は堅くも自活の決心をした。そして、十八の歳に師範学校の女子部に入つて、去年の春首尾|克《よ》く卒業したのである。兄は今青森の大林区署《だいりんくしよ》に勤めてゐる。
父は厳しい人で、母は優しい人であつた。その優しかつた母を思出す毎《ごと》に智恵子は東京が恋しくてならぬ。住居は本郷の弓町であつた。四室《よま》か五室《いつま》の広からぬ家であつたが、……玄関の脇の四畳が智恵子の勉強部屋にされてゐた。衡門《かぶきもん》から筋向ひの家に、それは/\大きい楠が一株《ひともと》、雨も洩さぬ程繁つた枝を路の上に拡げてゐた。――静子に訊けば、それが今猶残つてゐると言ふ。
『那《あ》の辺の事を、怎《ど》う変つたか詳しく小川さんの兄様《にいさん》に訊いて見ようか知ら!』とも考へてみた。そして、「
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