や》いだ笑声が響く。ツと、信吾の生白い顔が脳《あたま》に浮ぶ、――智恵子は厳粛《おごそか》な顔をして、屹と自分を譴《たしな》める様に唇を噛んだ。
「男は浅猿《あさま》しいものだ!」
と心で言つて見た。青森にゐる兄の事が思出されたので。――嫂の言葉に返事もせず、竈の下を焚きつけ乍らも聖書を読んだ頃が思出された。亡母《はは》の事が思出された。東京にゐた頃が思出された。
遂に、那《あ》の頃のお友達は今怎うなつたらうと思ふと、今の我身の果敢《はか》なく寂しく頼りなく張合のない、孤独の状態《ありさま》を、白地《あからさま》に見せつけられた様な気がして、智恵子は無性に泣きたくなつた。矢庭に両手を胸の上に組んで、長く/\祈つた。長く/\祈つた。……
佗しき山里の夜は更けて、隣家の馬のゴト/\と羽目板を蹴る音のみが聞えた。
(五)の一
何日しか七月も下旬《すゑ》になつた。
かの加留多会の翌日《あくるひ》、信吾は初めて智恵子の宿を訪ねたのであつた。其時は、イプセンの翻訳一二冊に、『イプセン解説』と題して信吾自身が書いた、五六頁許りの、評論の載つてゐる雑誌を態々《わざわざ》持つて行つ
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