でゐたが、何時か其の手が鈍つた。そして再び机の前に坐ると、眤と洋燈の火を睇《みつ》めて、時々気が付いた様に長い睫毛を瞬《しばた》いてゐた。隣室では新坊が目を覚まして何かむづかつてゐたが、智恵子にはそれも聞こえぬらしかつた。
 智恵子の心は平生《いつ》になく混乱《こんがらが》つてゐた。お利代一家のことも考へてみた。お利代の悲しき運命、――それを怎《どう》やら恁《か》うやら切抜けて来た心根を思ふと、実に同情に堪へない、今は加藤医院になつてる家《うち》、あの家が以前《もと》お利代の育つた家、――四年前にそれが人手に渡つた。其昔、町でも一二の浜野屋の女主人《をんなあるじ》として、十幾人の下女下男を使つた祖母が、癒る望みもない老の病に、彼様《ああ》して寝てゐる心は怎うであらう! 人間《ひと》の一生の悲痛《いたましさ》が、時あつて智恵子の心を脅かす。……然し、この悲しきお利代の一家にも、思懸けぬ幸福《さいはひ》が湧いて来た! 智恵子は、神の御心に委ねた身ながらに、独《ひとり》ぼツちの寂しさを感ぜぬ訳にいかなかつた。
 行末|怎《ど》うなるのか! といふ真摯《まじめ》な考への横合から、富江の躁《はし
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