つた。
 無理もないと思ひつゝも、智恵子の心には思ひもかけぬ怪しき陰翳《かげ》がさした。智恵子は心から此哀れなる寡婦《をんな》に同情してゐた。そして自己《おのれ》に出来るだけの補助《たすけ》をする――人を救ふといふことは楽い事だ。今迄お利代を救ふものは自己《おのれ》一人であつた。然し今は然うでない!
 誰しも恁※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2−94−57]《こんな》場合に感ずる一種の不満を、智恵子も感ぜずに居《をら》れなかつた。が、すぐにそれを打消した。
『で御座いますからね。』とお利代は言葉をついだ。『マア何方《どつち》にした所で、祖母《おばあ》さんの病気を癒すのが一番で御座いますがね。……何と返事したものかと思ひまして。』
『然《さ》うね。』と云つて、智恵子は睫毛の長い眼を瞬《しばたた》いてゐたが、『忝《かたじけ》ないわ、私なんかに御相談して下すつて。……アノ小母さん、兎も角今のお家の事情を詳しく然《さう》言つて上げた方が可《よ》かなくつて? 被行《いらつしや》る方が可《いい》と、マア私だけは思ふわ。だけど怎《どう》せ今直ぐとはいかないんですから。』
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