『然うでせうねえ!』と大きい眼をパチ/\する。
 それから二人は、一時間前に漸々《やうやう》寝入つたといふ老女《としより》の話などをしてゐたが、お利代は立つて行つて、今日函館から来たといふ手紙を持つて来た。そして、
『先生、怎《ど》うしたものでせうねえ?』と、愁し気な、極悪気《きまりわるげ》な顔をして話し出した。
 その手紙はお利代の先夫からである。以前《まへ》にも一度来た。返事を出さなかつたので再《また》来た。梅といふ子が生れた翌年《よくとし》不図《ふと》行方知れずなつてからモウ九年になる。その長々の間の詫を細々書いて、そして、自分は今函館の或商会の支店を預る位の身分になつたから、是非共過去の自分の罪を許して、一家を挙げて函館に来てくれと言つて来たのである。そして、自分の家出の後に二度目の夫のあつた事、それが死んだ事も聞知つてゐる。生れた新坊は矢張《やはり》自分の子と思つて育てたいと優くも言葉を添へた。――
 身を入れて其話を聞いてゐた智恵子は、謹慎《つつま》しいお利代の口振《くちぶり》の底に、此悲しき女《ひと》の心は今猶その先夫の梅次郎を慕つてゐる事を知つた。そして無理もないと思
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