其合戦の終りに、信吾と智恵子の前に一枚宛残つた。昌作は立つて来て覗いてゐたが、気合を計つて、
『千早ふる――』
と叫んだ。それは智恵子の札で、信吾方の敗となつた。
『マア此人は?』
と、富江はシタタカ昌作の背を平手で擲《どや》しつけた。昌作は赤くなつた顔を勃《むつ》とした様に口を尖らした。
 可哀相なは慎次で、四五枚の札も守り切れず、イザとなると可笑《をかし》い身振をして狼狽《まごつ》く。それを面白がつたのは嫂《あによめ》の清子と静子であるが、其|狼狽方《まごつきかた》が故意《わざ》とらしくも見えた。滑稽でもあり気毒でもあつたのは校長の進藤で、勝敗がつく毎《ごと》に、鯰髯《なまづひげ》を捻つては、
『年を老《と》ると駄目です喃《なあ》。』
と喞《こぼ》してゐた。一度昌作に代つて読手になつたが、間違つたり吃つたりするので、二十枚と読まぬうちに富江の抗議で罷《や》めて了つた。
 我を忘れる混戦の中でも、流石に心々の色は見える。静子の目には、兄と清子の間に遠慮が明瞭《ありあり》と見えた。清子は始終|敬虔《つつまし》くしてゐたが、一度信吾と並んで坐つた時、いかにも極悪気《きまりわるげ》であ
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