ですよ。』と囁いてお利代は急いで立つ。
『小母さん、これ。』と智恵子は先刻の紙幣《さつ》を指さしたのでお利代は『それでは!』と受取つて室を出た。

     (四)の四

 挨拶が済むと、静子は直ぐ、智恵子が片付けかけた裁縫物《したてもの》に目をつけて、
『まあ好《い》い柄ね。』
『でも無いわ。』
『貴女《あんた》ンの?』
『正可《まさか》! 這※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2−94−57]《こんな》小いの着られやしないわ。』と、笑ひ乍ら縫掛のそれを抓《つま》んで見せる。
『梅ちやんの?』と少し声を潜めた。
『え、新坊さんと二人《ふたあり》の。』
『然う?』と言つて、静子は思ひ有気《ありげ》な眼付をした。無論、智恵子が買つて呉れたものと心に察したので。
 智恵子は身の周囲《まはり》を取片付けると、改めて嬉気《うれしげ》な顔をして、
『よく被来《いらし》つたわね!』
『貴女は些《ちつ》とも被来つて下さらないのね?』
『済まなかつたわ。』と何気なく言つたが、一寸目の遣場に困つた。そして、微笑んでる様な静子の目と見合せると色には出なかつたが、ポツと顔の赧むを覚
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