おこなひ》があつた。智恵子は学校にも行けなかつた。教会に足を入れ初めたのは其頃で。
長患ひの末、母は翌年《あくるとし》になつて遂に死んだ。程なくして兄は或る芸妓《げいしや》を落籍《ひか》して夫婦《いつしよ》になつた。智恵子は其賤き女を姉と呼ばねばならなかつた。遂に兄の意に逆《さから》つて洗礼を受けた。
智恵子は堅くも自活の決心をした。そして、十八の歳に師範学校の女子部に入つて、去年の春首尾|克《よ》く卒業したのである。兄は今青森の大林区署《だいりんくしよ》に勤めてゐる。
父は厳しい人で、母は優しい人であつた。その優しかつた母を思出す毎《ごと》に智恵子は東京が恋しくてならぬ。住居は本郷の弓町であつた。四室《よま》か五室《いつま》の広からぬ家であつたが、……玄関の脇の四畳が智恵子の勉強部屋にされてゐた。衡門《かぶきもん》から筋向ひの家に、それは/\大きい楠が一株《ひともと》、雨も洩さぬ程繁つた枝を路の上に拡げてゐた。――静子に訊けば、それが今猶残つてゐると言ふ。
『那《あ》の辺の事を、怎《ど》う変つたか詳しく小川さんの兄様《にいさん》に訊いて見ようか知ら!』とも考へてみた。そして、「
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