『迎ひに来た。家ぢや待つてるぞ。』
言ふ間もなく踵《くびす》を返して、今来た路を自暴《やけ》に大跨で帰つて行く。信吾は其後姿を見送り乍ら、愍む様な軽蔑した様な笑ひを浮べた。静子は心持眉を顰《ひそ》めて、
『阿母《おつか》さんも酷いわね。迎ひなら昌作さんでなくたつて可いのに!』と独語の様に呟いた。
(三)の一
暁方からの雨は午《ひる》少し過ぎに霽《あが》つた。庭は飛石だけ先づ乾いて、子供等の散らかした草花が生々としてゐる。池には鯉が跳ねる。池の彼方《かなた》が芝生の築山、築山の真上に姿優しい姫神山が浮んで空には断《ちぎ》れ/\の白雲が流れた。――それが開放《あけはな》した東向の縁側から見える。地《つち》から発散する水蒸気が風なき空気に籠つて、少し蒸す様な午後の三時頃。
『それで何で御座いますか、えゝ、お食事の方は? 矢張《やつぱり》お進みになりませんですか?』と言ひ乍ら、加藤は少し腰を浮かして、静子が薦める金盥《かなだらひ》の水で真似許り手を洗ふ。今しもお柳の診察――と言つても毎日の事でホンの型許り――が済んだところだ。
『ハア、怎《ど》うも。…………それでゐて恁《か》
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