》とも変らないね。』と信吾は短い髯を捻つた、『幸福に暮してると年は老《と》らないよ。』
『さうね。』
其話はそれ限《ぎり》になつた。
『今日随分長く学校に被居《いらしつ》たわね。貴兄《あなた》智恵子さんに逢つたでせう?』
『智恵子? ウン日向さんか。逢つた。』
『何う思つて、兄様《にいさん》は?』と笑を含む。
『美人だね。』と信吾も笑つた。
『顔許りぢやないわ。』と静子は真面目な目をして、『それや好い方よ心も。私《わたし》姉様の様に思つてるわ。』と言つて、熱心に智恵子の性格の美しく清い事、其一例として、浜野(智恵子の宿)の家族の生活が殆んど彼女の補助によつて続けられてゐる事などを話した。
信吾は其話を、腹では真面目に、表面《うはべ》はニヤ/\笑ひ乍ら聴いてゐた。
二人が鶴飼橋へ差掛つた時、朱盆の様な夏の日が岩手山の巓《いただき》に落ちて、夕映の空が底もなく黄橙色《だいだいいろ》に霞んだ。と、背《たけ》高い、頭髪《かみのけ》をモヂヤ/\さした、眼鏡をかけた一人の青年が、反対の方から橋の上に現れた。静子は、
『アラ昌作叔父さんだわ。』と兄に囁く。
『オーイ。』と青年は遠くから呼んだ。
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