縛られた耶蘇《イエス》がピラトの前に引出されて罪に定められ、棘《いばら》の※[#「日/俛のつくり」、208−下−19]《かんむり》を冠せられ、其|面《おもて》に唾せられ、雨の様な嘲笑を浴びて、遂にゴルゴタの刑場に、二人の盗賊《ぬすびと》と相並んで死に就くまでの悲壮を尽した詩――『耶蘇《イエス》また大声に呼《よばは》りて息絶たり。』と第五十節迄読んで来ると、智恵子は両手を強く胸に組合せて、稍暫し黙祷に耽つた。何時でも此章を読むと、言ふに言はれぬ、深い/\心持になるのだ。
 軈《やが》て智恵子は、昨日《きのう》来た朋友《おともだち》の手紙に返事を書かうと思つて、墨を磨り乍ら考へてゐると、不図、今日初めて逢つた信吾の顔が心に浮んだ。………
 恰度此時、信吾は学校の門から出て来た。

     (二)の三

 長過ぎる程の紺絣の単衣に、軽やかな絹の兵子帯、丈《たけ》高い体を少し反身に何やら勢ひづいて学校の門を出て来た信吾の背後《うしろ》から、
『信吾さん!』
と四辺《あたり》憚からぬ澄んだ声が響いて、色|褪《あ》せた紫の袴を靡《なび》かせ乍ら、一人の女が急足《いそぎあし》に追駆《おつか》けて来
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