の調べ物があつて……。』と何やら弁疎《いひわけ》らしく言ひながら、下駄を脱いで、『アノ、郵便は来なくつて、小母さん?』
『ハ、何にも……然う/\、先刻《さつき》静子さんがお出になつて、アノ、兄様《にいさん》もお帰省《かへり》になつたから先生に遊びに被来《いらしつ》て下さる様にツて。』
『然う? 今日ですか?』
『否《いいえ》。』と笑を含んだ。『何日《いつ》とも被仰《おつしや》らな御座《ごあ》んした。』
『然うでしたか。』と安心した様に言つて、『祖母《おばあ》さんは今日は?』
『少し好《い》い様で御座んす。今よく眠つてあんすから。』
『夜になると何日でも悪くなる様ね。』と言ひながら、直ぐ横の破れた襖を開けて中を覗いた。薄暗い取散らかした室の隅に、臥床《ふしど》が設けてあつて、汚れた布団の襟から、彼方向《あちらむき》の小い白髪頭が見えてゐる。枕頭《まくらもと》には、漆の剥げた盆に茶碗やら、薬瓶やら、流通の悪い空気が、薬の香《か》と古畳の香に湿つて、気持悪くムツとした。
 智恵子は稍|霎《しば》しその物憐れな室の中を見てゐたが、黙つて襖を閉めて、自分の室に入つて行つた。
 上り口の板敷から、
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