て、家の中は石炭酸の臭気《にほひ》に充ち、軒下には石灰が撒かれた。
丁度智恵子が隔離病舎に入つた頃、小川の家では、信吾が遅く起きて、そして、今日の中に東京に帰らして呉れと父に談判してゐた。父は叱る、信吾は激昂する。結局「勝手になれ」と言ふ事になつて、信吾は言ひがたき不愉快と憤怒《いかり》を抱いてフイと発つた。それは午後の二時過。
吉野は加藤との約束があるので、留まる事になつた。そして直ぐにも加藤の家に移る積りだつたが、色々と小川家の人達に制《と》められて、一日だけ延ばした。小川家には急に不愉快な、そして寂しい空気が籠つた。
日が暮れると、吉野は一人町へ出た。そして加藤から智恵子の事を訊かされた。
吉野は直ぐ智恵子の宿を訊ねた。町には矢張《やはり》樺火《かばび》が盛んに燃えてゐた。彼は裏口から廻つて霎時《しばし》お利代と話した。そして石炭酸臭い一封の手紙を渡された。
それは智恵子が鉛筆の走り書。――恁う書《か》いてあつた。
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御心配下さいますな。決して御心配下さいますな。お目にかかれないのが何より――病の苦痛《くるしみ》より辛《つら》う御座います。吉野|様
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