と口元に漂ふ。
 家々の前の狭い浅い溝には、腐れた水がチヨロ/\と流れて、縁に打込んだ杭が朽ちて白い菌《きのこ》が生えた。屋根が低くて広く見える街路《みち》には、西並《にしなみ》の家の影が疎な鋸の歯の様に落ちて、処々に馬を脱《はづ》した荷馬車が片寄せてある。雛《にはとり》が幾群《いくむれ》も幾群も、其下に出つ入りつ零《こぼ》れた米を土埃《ほこり》の中に猟《あさ》つてゐた。会つて頭を下げる小児等に、智恵子は一々笑ひ乍ら会釈を返して行く。
 一人、煮絞《にし》めた様な浅黄の手拭を冠つて、赤児を背負《おぶ》つた十一二の女の児が、とある家《うち》の軒下に立つて妹らしいのと遊んでゐたが、智恵子を見ると、鼻のひしやげた顔で卑しくニタ/\と笑つて、垢だらけの首を傾《かしげ》る。智恵子は側《そば》へ寄つて来た。
『先生《しえんせえ》!』
『お松、お前また此頃学校に来なくなつたね?』と、柔かな物言ひである。
『これ。』と背中の児を揺《ゆすぶ》つて、相不変《あひかはらず》ニタ/\と笑つてる。子守をするので学校に出られぬといふのだらう。
『背負《おぶ》つてでも可いからお出《いで》なさい。ね、子供の泣く時だけ
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