々人を虐めて置いて。』
『ハヽヽ。ぢや左様なら!』
『一寸々々《ちよいとちよいと》、真箇《ほんと》よ明日の晩も。』
『ハヽヽ。』と男は再《また》妙に笑つてスタ/\と歩き出す。富江は家《うち》へ入つた。
 人なき裏路を自棄《やけ》に急ぎながら、信吾は浅猿《あさま》しき自嘲の念を制することが出来なかつた。少許《すこし》下向いた其顔は不愉快に堪へぬと言つた様に曇つた。
『莫迦!』
と声を出して罵つた。それは然し誰に言つたのでもない。
 信吾の心が生れてから今日一日ほど動揺した事がない。また今日一日ほど自分で見識を下げたと思つたことはない。彼は智恵子を訪《と》ふと、初めは盛んに気焔を吐いた。現代の学者を糞味噌に罵倒し尽し、言葉を極めて美術家仲間の内幕などを攻撃した。そして甚※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2−94−57]話の機会《きつかけ》からか、智恵子を口説いてみた。彼は有らゆる美しい言葉を並べた。女は眤《じつ》と俯向いてゐた。
 最後に信吾は言つた。
『智恵子さん、貴女は哀れな僕の述懐を、無論無意味には聞いて下さらないでせうね?』
『…………』
『智恵子さん!
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