を起した。『だつて、夜だもの。』『然し。』『豈夫《まさか》。』といふ考へが霎時《しばし》胸に乱れた。
『それにしても奈何《どう》なすつたらう?』
 静子は、何がなしに此《この》室《へや》に居て見たい様な気がした。で、夏座布団を布いた机の前に坐つて、心持洋燈の火を細くした。
『秋になつたら私が此室《ここ》にゐる様にしようか知ら!』
 机の上には、書《ほん》が五六冊。不図其中に、黒い表紙の写生帳が目に付いた。静子は何気なく其を取つて、或所を披《ひら》いた。
 と、静子の眼は輝いた。顔が染まつた。人なき室をキヨロ/\と見巡して再《また》それを熱心に見る。――鉛筆の走書の粗末ではあるが、書かれてあるのは擬《まが》ひもなく静子自身の顔ではないか!
 Erste《エルステ》 Eindruck《アインドルツク》(第一印象)と、独逸《ドイツ》語で其上に書かれた。それは然し、何の事やら静子には解らなかつた。
 静子は、気がさした様に、俄かにそれを閉ぢて以前《もと》の様に書《ほん》の間に重ねた。そして、逃げる様に室を出た。心はそこはかとなく動いて、若々しい鼓動が頻りに胸に打つた。
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