が詰《つま》らない!』と言つた様な失望が、漠然と胸に湧く。自省の念も起る。気を紛らさうと思つて二人の小供を呼んだ。智恵子の拵《こしら》へてくれた浴衣《ゆかた》をダラシなく着た梅ちやんと、裸体《はだか》に腹掛をあてた新坊が喜んで来た。
『何か話をして上げませう? 新坊さんは桃太郎が好き?』
『嫌。』と頭《かぶり》を振つて、『山サ行く。』
『先生、山サ連れてつて。』と梅ちやんも甘えかゝる。
『ホホヽヽ、何方《どつち》も山へ行きたいの? 山はこの次にね……。』
と言つてる所へ、入口に人の訪るる気勢《けはい》。智恵子は佶《きつ》と口を結んだ。俄かに動悸が強く打つ。

     (八)の五

 胸を轟《とどろ》かして待つた其人では無くて訪ねて来たのは信吾であつた。智恵子は何がなしにバツが悪く思つた。
 信吾は常に変らぬ態度《やうす》乍らも、何処か落着かぬ様で、室に入ると不図気がさした様に見巡《みまは》して坐つたが、今まで客のあつたとも見えぬ。
『吉野君が来なかつたですか?』
『否《いいえ》。』と対手の顔色を見る。
『来ない? 然うですか、何処へ行つたかなア。ハテナ、』と、信吾は是非逢はねばならぬ
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