ない。新坊が泣出しでもすると訳もなく腹立しくなる。幾度《いくたび》も/\室の中を片付けてるうちに、午食《ひるめし》になつた。
『小母さん、私の顔紅くなくつて?』と箸を動しながら訊いた。
『否《いえ》。些《ちつ》とも。』
『然う? ぢや平生《ふだん》より青いんでせう。』
『否《いえ》、何ともありませんよ。怎《ど》うかなすつたんですか?』
『怎うもしないんですけれど、何だかホカ/\するわ。目の底に熱がある様で……。』
『暑いところを山へなんか被行《いらし》つたからでせうよ。今日はこれから又|甚※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2−94−57]《どんな》に蒸しますか!』
 何がなしに気が急《せ》いて、智恵子は早々《さつさ》と箸を捨てた。何をするでもなく、気がソワ/\して、妙な陰翳《くらさ》が心に湧いて来る。『怎うもしないのに!』と自分に弁疏《いひわけ》して見る傍から、「屹度加藤さんでお午餐《ひる》が出て、それから被来《いらつしや》る。」といふ考へが浮ぶ。髪を結はう、結はうと何回となく思付いたが、箪笥《たんす》の上の鏡に顔を写しただけ。到頭三時近くなつた。
『世の中
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