』とライダル湖畔の詩人が謳《うた》つた。それだ、全くそれだ。甘き青葉の香を吸ひ、流れるこの鳥の声を聞いては、身は詩人でなくても、魂が胸を出て、声と共にそこはかとなく森の下蔭を小迷《さまよ》うてゆく思ひがする。
声の在所《ありか》を覓《もと》むる如く、キヨロ/\と落着かぬ様に目を働かせて、径もなき木蔭地《こさぢ》の湿りを、智恵子は樹々の間を其方《そなた》に抜け此方《こなた》に潜る。夢見る人の足調《あしどり》とは是であらう。髪は肩に乱れ、胸に波打ち、ハラ/\と顔にも懸る。それを払はうとするでもない。
故もなく胸が騒いでゐる。酔つた様な、愉《たの》しい様な、切ない様な……宛然《さながら》葉隠の鳥の声の、何か定めなき思ひが、総身の脈を乱してゐる。
『ククヽヽクウ』と鳥の声。
「私ほど辛い悲しいものはない!」
恁《か》う理由のないことを、何がなしに心に言つてみた。何が辛いのか、何が悲しいのか、それは自分では解らない。ただ然う言つて見たかつたのだ。言つた所で、別に辛くも悲しくもない。
『吉野さんが町に、加藤の家《うち》に来てゐる。』智恵子に解つてるのは之だけだ。
初めて逢つたのは鶴飼橋の上
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