ん》、貴女に少許《すこし》お願ひがありますがねえ。』
『何で御座いますか?』
『何有《なあに》、真《ほん》の些《ちよつと》した事ですがね。』と、森川は笑つてゐる。
『何で御座いますか、私に出来る事なら……。』と智恵子は何時になく悶《もど》かし相な顔をした。
『出来る事ですとも。』まだ笑つて、
『その何ですよ、過日《こなひだ》、否《いや》昨日か、神山|様《さん》にも一日お願ひしたんですがね。ソノ、私は鮎釣に行きますから、御都合の可《い》い時一日学校に被来《いらしつ》てゐて下さいませんか?』
『ハ、可《よ》う御座いますとも。何日《いつ》でも貴方の御出懸になる時は、アノ大抵の日は小使をお寄越し下されば直ぐ参ります。』
『然うですか。ぢやお願ひ致しますよ、済みませんが。』
『何日でも……。』と言つて、智恵子は足早に裏の方に廻つた。
裏は直ぐ雑木の山になつて、下暗い木立の奥がコンモリと仰がれる。校舎の屋根に被《かぶ》さる様になつた青葉には、楢《なら》もあれば栗もある。鮮かな色に重なり合つて。
便所の後《うしろ》になつてゐる上口《あがりぐち》から、智恵子はスタ/\と坂を登つた。
木立の中から
前へ
次へ
全217ページ中125ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
石川 啄木 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング