ハ有難う。昨日夕方に帰りました許《ばつか》りで。』
『お楽みでしたわねえ。サ何卒お上り下さいまし、……アノ小川|様《さん》のお客様も被来《いらつしつ》てますから。』
『ハ?』と智恵子は、脱ぎかけた下駄を止めた。
『吉野さんとか被仰《おつしや》る、画をお描きになる……貴女にも盛岡でお目にかゝつたとか被仰《おつしや》つてで御座いますよ。』
『アノ、吉野さんが?』
『え。宅が小川|様《さん》で二三度お目にかゝりました相で、……昌作|様《さん》とお二人。マ何卒。』
『ハ有難う、アノウ……。』と言ひ乍ら、智恵子は懐から例の手紙を取出して、手短に其|由来《わけ》を語つて清子に渡した。
『マ然うでしたか。それは怎《ど》うも。……それは然うと、サ、サ。』と、手を引く許りにする。
『アノ一寸学校に行つて見なければなりませんから、何れ後で。』
『アラ、日向|様《さん》、其※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2−94−57]《そんな》貴女……。』と、清子が捉へる袂を、スイと引いて、
『真箇《ほんと》よ、奥様《おくさん》。何れ後で。』
智恵子は逃げる様にして戸外《そと》に出た、と、
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