と振返つて、
『小川の令妹《シスタア》が出てますよ。』
『アラ。』と言つて、智恵子も立つたが、怎《ど》う思つてか、外から見られぬ様に、男の背後《うしろ》に身を隠して、密《そつ》と覗いて見たものだ。
 静子は小妹《いもうと》共と一緒に田の中の畔路《あぜみち》に立つて、紛※[#「巾+兌」、245−上−9]《はんけち》を振つてゐる。小妹共は何か叫んでるらしいが、無論それは聞えない。
 智恵子は無性に心が騒いだ。
 帽子を振つてゐた吉野が、再び腰を掛けた時は、智恵子は耳の根まで紅くして極悪気《きまりわるげ》に俯向いてゐた。静子の行動《しうち》が、偶然か、はた意《こころ》あつて見送つたものか、はた又吉野と申合せての事か、それは解らないが、何《いづ》れにしても智恵子の心には、万一《もしや》自分が男と一緒に乗つてゐる事を、友に見られはしないかといふ心配が、強く動悸を打つた。吉野はその、極悪気《きまりわるげ》な様子を見て、『小川の所謂《いはゆる》近代的婦人《モダーンウーマン》も案外|初心《うぶ》だ!』と思つたかも知れない。
 その実男も、先刻《さつき》汽車に乗つた時から、妙に此女と体を密接してゐること
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