子が腰を掛けたが、少し体を動しても互の体温《あたたかさ》を感ずる位窮屈だ。女は、何がなしに自分の行動《しうち》――紹介もなしに男と話をした事――が、はしたない様な、否《いな》、はしたなく見られた様な気がして、『だつて、那※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2−94−57]《あんな》切懸《きつかけ》だつたんだもの。』と心で弁疎《いひわけ》して見ても、怎《どう》やら気が落着かない。乗合の人々からジロ/\顔を見られるので、仄《ほんの》りと上気してゐた。
 北上山系の連山が、姫神山を中心にして、左右袖を拡げた様に東の空に連つた。車窓《まど》の前を野が走り木立が走る。時々、夥《おびただ》しい草葉の蒸香《いきれ》が風と共に入つて来る。
 程なく列車が轟《ぐわう》と音を立てて松川の鉄橋に差《さし》かかると、窓外《そと》を眺めて黙つてゐた吉野は、
『ア、那家《あれ》が小川の家《うち》ですね。』
と言つて窓から首を出した。線路から一町程離れて、大きい茅葺の家《いへ》、その周囲《あたり》に四五軒|農家《ひやくしやうや》のある――それが川崎の小川家なのだ。
 首を出した吉野は、直ぐ
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