代えて「公の右上の欠けたもの」、第4水準2−94−57]《そんな》時は、無精者の母親がよく健の前へ来て、抱いてゐる梅ちやんといふ児に胸を披《はだ》けて大きい乳房を含ませながら、
『千早先生、家《うち》の忠一は今日も何か悪い事しあんしたべすか?』
 などゝ言ふことがある。
『ハ。忠一さんは日増《ひまし》に悪くなる様ですね。今日も権太といふ小供が新らしく買つて来た墨を、自分の机の中に隠して知らない振してゐたんですよ。』
『コラ、彼方《あちら》へ行け。』と、校長は聞きかねて細君を叱る。
『それだつてなす、毎日悪い事許りして千早先生に御迷惑かける様なんだハンテ、よくお聞き申して置いて、後で私《わだし》もよツく吩付《いひつ》けて置くべと思つてす。』
 健は平然《けろり》として卓隣《つくゑどな》りの秋野といふ老教師と話を始める。校長の妻は、まだ何か言ひたげにして、上吊《うはづ》つた眉をピリ/\させながら其処に立つてゐる。然うしてるところへ、掃除が出来たと言つて、掃除監督の生徒が通知《しらせ》に来る。
『黒板も綺麗に拭いたか?』
『ハイ。』
『先生に見られても、少しも小言を言はれる点《ところ》が無い
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