一枚、消印《スタンプ》の逸《はづ》れてゐる郵券を見つけ出した。そしてそれを貼つて送つた。或《ある》雨の降る日であつた。妻の敏子は、到頭金にならなかつた原稿の、包紙の雨に濡れたのを持つて、渠の居間にしてゐる穢《むさくる》しい二階に上つて来た。
『また帰つて来たのか? アハヽヽヽ。』
と渠は笑つた。そして、その儘本箱の中に投げ込んで、二度と出して見ようともしなかつた。
 何時《いつ》の間にか、渠は自信といふものを失つてゐた。然しそれは、渠自身も、四周の人も気が付かなかつた。
 そして、前夜、短い手紙でも書く様に、何気なくスラスラと解職願を書きながらも、学校を罷《や》めて奈何《どう》するといふ決心はなかつたのだ。
 健は、例《いつも》の様に亭乎《すらり》とした体を少し反身《そりみ》に、確乎《しつかり》した歩調《あしどり》で歩いて、行き合ふ児女等《こどもら》の会釈に微笑みながらも、始終|思慮《かんがへ》深い眼付をして、
「罷めても食へぬし、罷めなくても食へぬ……。」
と、その事|許《ばか》り思つてゐた。
 家《うち》へ入ると、通し庭の壁側《かべぎは》に据ゑた小形の竈《へつつひ》の前に小さく蹲《
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