しやが》んで、干菜《ほしな》でも煮るらしく、鍋の下を焚いてゐた母親が、
『帰つたか。お腹《なか》が減つたつたべアな?』
と、強《し》ひて作つた様な笑顔を見せた。今が今まで我家の将来《ゆくすゑ》でも考へて、胸が塞《つま》つてゐたのであらう。
 縞目も見えぬ洗晒《あらひざら》しの双子《ふたこ》の筒袖の、袖口の擦切《すりき》れたのを着てゐて、白髪交りの頭に冠つた浅黄の手拭の上には、白く灰がかゝつてゐた。
『然うでもない。』
と言つて、渠は足駄を脱いだ。上框《あがりがまち》には妻の敏子が、垢着いた木綿物の上に女児《こども》を負《おぶ》つて、顔にかゝるほつれ毛を気にしながら、ランプの火屋《ほや》を研《みが》いてゐた。
『今夜は客があるぞ、屹度《きつと》。』
『誰方《どなた》?』
 それには答へないで、
『あゝ、今日は急《いそが》しかつた。』
と言ひながら、健は勢ひよくドン/\梯子《はしご》を上つて行つた。
[#地から1字上げ]((その一、終))

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(予が今までに書いたものは、自分でも忘れたい、人にも忘れて貰ひたい、そして、予は今、予にとつての新らしい覚悟を以てこの長編を書
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