かつたのだ。
『健や、四月になつたら学校は罷めて、何処さか行ぐべアがな?』
と、渠の母親――背中の方が頭よりも高い程腰の曲つた、極く小柄な渠の母親は、時々心配相に恁《か》う言つた。
『あゝ、行くさ。』と、其度《そのたび》渠は恁※[#「麾」の「毛」に代えて「公の右上の欠けたもの」、第4水準2−94−57]《こんな》返事をしてゐた。
『何処さ?』
『東京。』
東京へ行く! 行つて奈何《どう》する? 渠は以前の経験で、多少は其名を成してゐても、詩では到底生活されぬ事を知つてゐた。且《か》つは又、此頃の健には些《ちつ》とも作詩の興がなかつた。
小説を書かう、といふ希望は、大分長い間健の胸にあつた。初めて書いてみたのは、去年の夏、もう暑中休暇に間のない頃であつた。『面影』といふのがそれで、昼は学校に出ながら、四日続け様に徹夜して百四十何枚を書了《かきを》へると、渠はそれを東京の知人に送つた。十二三日経つて、原稿はその儘帰つて来た。また別の人に送つて、また帰つて来た。三度目に送る時は、四銭の送料はあつたけれども、添へてやる手紙の郵税が無かつた。健は、何十通の古手紙を出してみて、漸々《やうやう》
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