といふ処へ入れば、今の人の様に叱られるんだぞ。』
『ハ。』と言つて、其児はピヨコリと頭を下げた。火傷《やけど》の痕の大きい禿が後頭部に光つた。
『忠一イ。忠一イ。』と、宿直室から校長の妻の呼ぶ声が洩れた。健と孝子は目と目で笑ひ合つた。
 軈《やが》て、埃に染みた、黒の詰襟の洋服を着た校長の安藤が出て来て、健と代つて新入生を取扱かつた。健は自分の卓《つくゑ》に行つて、その受持の教務《しごと》にかゝつた。
 九時半頃、秋野教師が遅刻の弁疏《いひわけ》を為《し》い/\入つて来て、何時も其室《そこ》の柱に懸けて置く黒繻子の袴を穿いた時は、後から/\と来た新入生も大方来尽して、職員室の中は空《す》いてゐた。健は卓の上から延び上つて、其処に垂れて居る索《なは》を続様《つづけざま》に強く引いた。壁の彼方《かなた》では勇しく号鐘《かね》が鳴り出す。今か/\とそれを待ちあぐんでゐた生徒等は、一しきり春の潮《うしほ》の湧く様に騒いだ。
 五分とも経たぬうちに、今度は秋野がその鐘索《しようさく》を引いて、先づ控所へ出て行つた。と、健は校長の前へ行つて、半紙を八つに畳んだ一枚の紙を無造作に出した。
『これ書い
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