飯時まで、自宅に近所の小供等を集めて「朝読《あさよみ》」といふのを遣つてゐた。朝な/\、黎明《しののめ》の光が漸く障子に仄《ほの》めいた許《ばか》りの頃、早く行くのを競つてゐる小供等――主に高等科の――が、戸外《そと》から声高に友達を呼起して行くのを、孝子は毎朝の様にまだ臥床《とこ》の中で聞いたものだ。冬になつて朝読が出来なくなると、健は夜な/\九時頃までも生徒を集めて、算術、読方、綴方から歴史や地理、古来《むかしから》の偉人の伝記逸話、年上の少年には英語の初歩なども授けた。この二月村役場から話があつて、学校に壮丁教育の夜学を開いた時は、三週間の期間を十六日まで健が一人で教へた。そして終ひの五日間は、毎晩裾から吹上《ふきあげ》る夜寒を怺《こら》へて、二時間も三時間も教壇に立つた為に風邪を引いて寝たのだといふ事であつた。
 それでゐて、健の月給は唯《たつた》八円であつた。そして、その八円は何時《いつ》でも前借《ぜんしやく》になつてゐて、二十一日の月給日が来ても、いつの月でも健には、同僚と一緒に月給の渡されたことがない。四人分の受領書を持つて行つた校長が、役場から帰つて来ると、孝子は大抵|
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