紙幣《さつ》と銀貨を交《ま》ぜて十二円渡される。検定試験上りの秋野は十三円で、古い師範出の校長は十八円であつた。そして、校長は気毒相《きのどくさう》な顔をしながら、健には存在《ぞんざい》な字で書いた一枚の前借証を返してやる。渠は平然《けろり》としてそれを受取つて、クル/\と円めて火鉢に燻《く》べる。淡い焔がメラ/\と立つかと見ると、直ぐ消えて了ふ。と、渠は不揃な火箸を取つて、白くなつて小《ちひさ》く残つてゐる其灰を突《つつ》く。突いて、突いて、そして上げた顔は平然《けろり》としてゐる。
 孝子は気毒《きのどく》さに見ぬ振をしながらも、健のその態度《やうす》をそれとなく見てゐた。そして訳もなく胸が迫つて、泣きたくなることがあつた。其※[#「麾」の「毛」に代えて「公の右上の欠けたもの」、第4水準2−94−57]《そんな》時は、孝子は用もない帳簿などを弄《いぢく》つて、人後《ひとあと》まで残つた。月給を貰つた為に怡々《いそいそ》して早く帰るなどと、思はれたくなかつたのだ。
 孝子の目に映つてゐる健は、月給八円の代用教員ではなかつた。孝子は或る時その同窓の女友達の一人へ遣つた手紙に、この若い教師のことを書いたことがある。若しや詰らぬ疑ひを起されてはといふ心配から、健には妻子のあることを詳しく記した上で、
『私の学校は、この千早先生一人の学校といつても可《い》い位よ。奥様《おくさん》やお子様《こさん》のある人とは見えない程若い人ですが、男生でも女生でも千早先生の言ふことをきかぬ者は一人もありません。そら、小野田教諭がいつも言つたでせう――教育者には教育の精神を以て教へる人と、教育の形式で教へる人と、二種類ある。後者には何人でも成れぬことはないが、前者は百人に一人、千人に一人しか無いもので、学んで出来ることではない、謂はば生来《うまれつき》の教育者である――ツて。千早先生はその百人に一人しかない方の組よ。教授法なんかから言つたら、先生は乱暴よ、随分乱暴よ。今の時間は生徒と睨《にら》めツクラをして、敗けた奴を立たせることにして遊びましたよなどゝ言ふ時があります。(遊びました)といふのは嘘で、先生は其※[#「麾」の「毛」に代えて「公の右上の欠けたもの」、第4水準2−94−57]事をして、生徒の心を散るのを御自分の一身に集《あつめ》るのです。さうしてから授業に取《とり》かゝるのです。
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