つた。そして、秋野の煙管を借りて、美味《うま》さうに二三服続け様に喫《の》んだ。孝子はそれを見てゐるのが、何がなしに辛かつた。宿へ帰つてからまで其事を思出して、何か都合の好い名儀をつけて、健に金を遣る途はあるまいかと考へた事があつた。又、去年の一夏、健が到頭|古袷《ふるあはせ》を着て過した事、それで左程暑くも感じなかつたといふ事なども、渠《かれ》自身の口から聞いてゐたが、村の噂はそれだけではなかつた。其夏、毎晩夜遅くなると、健の家《うち》――或る百姓家を半分|劃《しき》つて借りてゐた――では障子を開放《あけはな》して、居たたまらぬ位杉の葉を燻《いぶ》しては、中で頻《しき》りに団扇で煽《あふ》いでゐた。それは多分蚊帳が無いので、然うして蚊を逐出してから寝たのだらうといふ事であつた。其※[#「麾」の「毛」に代えて「公の右上の欠けたもの」、第4水準2−94−57]《そんな》に苦しい生活をしてゐて、渠には些《ちつ》とも心を痛めてゐる態《ふう》がない。朝から晩まで、真《しん》に朝から晩まで、小供等を対手に怡々《いい》として暮らしてゐる。孝子が初めて此学校に来た秋の頃は、毎朝|昧爽《よあけ》から朝飯時まで、自宅に近所の小供等を集めて「朝読《あさよみ》」といふのを遣つてゐた。朝な/\、黎明《しののめ》の光が漸く障子に仄《ほの》めいた許《ばか》りの頃、早く行くのを競つてゐる小供等――主に高等科の――が、戸外《そと》から声高に友達を呼起して行くのを、孝子は毎朝の様にまだ臥床《とこ》の中で聞いたものだ。冬になつて朝読が出来なくなると、健は夜な/\九時頃までも生徒を集めて、算術、読方、綴方から歴史や地理、古来《むかしから》の偉人の伝記逸話、年上の少年には英語の初歩なども授けた。この二月村役場から話があつて、学校に壮丁教育の夜学を開いた時は、三週間の期間を十六日まで健が一人で教へた。そして終ひの五日間は、毎晩裾から吹上《ふきあげ》る夜寒を怺《こら》へて、二時間も三時間も教壇に立つた為に風邪を引いて寝たのだといふ事であつた。
 それでゐて、健の月給は唯《たつた》八円であつた。そして、その八円は何時《いつ》でも前借《ぜんしやく》になつてゐて、二十一日の月給日が来ても、いつの月でも健には、同僚と一緒に月給の渡されたことがない。四人分の受領書を持つて行つた校長が、役場から帰つて来ると、孝子は大抵|
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