偶《たま》に先生が欠勤でもすると、私が掛持で尋常二年に出ますの。生徒は決して私ばかりでなく、誰のいふことも、聞きません。先生の組の生徒は、先生のいふことでなければ聞きません。私は其※[#「麾」の「毛」に代えて「公の右上の欠けたもの」、第4水準2−94−57]時、「千早先生はさう騒いでも可《い》いと教へましたか?」と言ひます。すると、直ぐ静粛になつて了ひます。先生は又、教案を作りません。その事で何日《いつ》だつたか、巡《まは》つて来た郡視学と二時間許り議論をしたのよ。その時の面白かつたこと? 結局視学の方が敗けて胡麻化《ごまくわ》して了つたの。
『先生は尋常二年の修身と体操を校長にやらして、その代り高等科(校長の受持)の綴方と歴史地理に出ます。今度は千早先生の時間だといふ時は、鐘が鳴つて控所に生徒の列んだ時、その高等科の生徒の顔色で分ります。
『尋常二年に由松といふ児があります。それは生来《うまれつき》の低脳者で、七歳《ななつ》になる時に燐寸《マツチ》を弄《もてあ》そんで、自分の家《うち》に火をつけて、ドン/\燃え出すのを手を打つて喜んでゐたといふ児ですが、先生は御自分の一心で是非由松を普通《あたりまへ》の小供にすると言つて、暇さへあればその由松を膝の間に坐らせて、(先生は腰かけて、)上から眤《じつ》と見下しながら、肩に手をかけて色々なことを言つて聞かせてゐます。その時だけは由松も大人しくしてゐて、終ひには屹度《きつと》メソ/\泣出して了ひますの。時として先生は、然うしてゐて十分も二十分も黙つて由松の顔を見てゐることがあります。二三日前でした、由松は先生と然うしてゐて、突然眼を瞑《つぶ》つて背後《うしろ》に倒れました。先生は静かに由松を抱いて小使室へ行つて、頭に水を掛けたので小供は蘇生しましたが、私共は一時|喫驚《びつくり》しました。先生は、「私の精神と由松の精神と角力《すまふ》をとつて、私の方が勝つたのだ。」と言つて居られました。その由松は近頃では清書なんか人並に書く様になりました。算術だけはいくら骨を折つても駄目ださうです。
『秀子さん、そら、あの寄宿舎の談話室ね、彼処《あそこ》の壁にペスタロツヂが小供を教へてゐる画が掲《か》けてあつたでせう。あのペスタロツヂは痩せて骨立つた老人でしたが、私、千早先生が由松に物を言つてるところを横から見てゐると、何といふことなくあ
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