、羅馬人は西暦紀元の頃に八日一週の旧制を捨てて此制を採用し、ひいて今日の世界に到つたものである、といふ事をさへ、克く研究して知つて居る癖に、怎うして今日は土曜日だといふ事を忘却して居たものであらう、誠に頓馬な話である。或は自分は、滞留三日にして早く既に盛岡人の呑気な気性の感化を蒙つたのかも知れない。
此小使室の土間に、煉瓦で築き上げた大きな竈《かまど》があつて、其上に頗る大きな湯釜が、昔の儘に湯を沸《たぎ》らし居る。自分は此学校の一年生の冬、百二十人の級友に唯二つあてがはれた暖炉《ストーブ》には、力の弱いところから近づく事も出来ないで、よく此竈の前へ来て昼食のパンを噛《かぢ》つた事を思出した。そして、此処を立去つた。
門を出て、昔十分休毎によく藻外と花郷と三人で楽しく語り合つた事のある、玄関の上の大露台《だいバルコニイ》を振仰いだ。と、恰度此時、女乞食の周匝《めぐり》に立つて居た児供《こども》の一人が、頓狂な声を張上げて叫んだ。
『アレ/\、がんこ[#「がんこ」に傍点]ア来た、がんこ[#「がんこ」に傍点]ア来た。』がんこ[#「がんこ」に傍点]とは盛岡地方で『葬列』といふ事である。此
前へ
次へ
全52ページ中32ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
石川 啄木 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング