れ生きた教育の儀表となつて居る。自白すると自分の如きも昔二十幾人の教師に教を享けたるに不拘、今猶しみ/″\と思出して有難さに涙をこぼすのは、唯此鹿川先生一人であるのだ。今日の訪問の意味は、云はずと解つて居る。
 自分の問に対して、三秒か五秒の間答がなかつたが、霎時《しばらく》して、
『イヤー立花さんでアごあせんか? これや怎《ど》うもお久振でごあんした喃《なあ》。』
と聞覚えのある、錆びた/\声が応じた。ああ然だ、この声の主を忘れてはならぬ。鹿川先生と同じく、此校創立以来既に三十年近く勤続して居る正直者、歩振《あるきぶり》の可笑《をかしい》ところから附けられた、『家鴨《あひる》』といふ綽名《あだな》をも矢張三十年近く呼ばれて居る阿部老小使である。
『今日はハア土曜日でごあんすから、先生方は皆《みんな》お帰りになりあんしたでア。』
 土曜日? おゝ然《さう》であつた。学校教員は誰しも土曜日の来るを指折り数へて待たぬものがない。自分も其教員の一人であり、且つ又、この一週七曜の制は、黄道十二支と共に、五千年の昔、偉大なるアツケデヤ人の創めたもので、其後希臘人は此制をアレキサンデリヤから輸入し
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