お世話いたしませうか、浩さん。』と云つた。『何をですか。』『アラ云はなくつても解つてますよ。奇麗な奥様をサ。』と楽しげに笑ふのであつた。
帰路《かへり》には、馬町の先生を訪ねて、近日中に厨川柵《くりやがはのさく》へ一緒に行つて貰ふ約束をした。馬町の先生といへば、説明するまでもない。此地方で一番有名な学者で、俳人で、能書家で、特に地方の史料に就いては、極めて該博精確な研究を積んで居る、自分の旧師である。
幅広く美しい内丸の大逵《おほどほり》、師範学校側の巨鐘が、澄み切つた秋の大空の、無辺際な胸から搾り出す様な大梵音をあげて午後の三時を報じた時、自分は恰度其鐘楼の下を西へ歩いて居た。立派な県庁、陰気な師範学校、石割桜で名高い裁判所の前を過ぎて、四辻へ出る。と、雪白の衣《きぬ》を着た一巨人が、地の底から抜け出でた様にヌツと立つて居る。――
これは此《この》市《し》で一番人の目に立つ雄大な二階立《にかいだち》の白堊館《はくあかん》、我が懐かしき母校である。盛岡中学校である。巨人? 然《さう》だ、慥かに巨人だ。啻《ただ》に盛岡六千戸の建築中の巨人である許りでなく、また我が記憶の世界にあつて
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