超脱した高士の俤《おもかげ》、イヤ、それよりも一段《もつと》俗に離れた、俺は生れてから未だ世の中といふものが西にあるか東にあるか知らないのだ、と云つた様な顔だ。自分は昔、よく友人と此処へ遊びに来ては、『石狛《こまいぬ》よ、汝も亦詩を解する奴だ。』とか、『石狛よ、汝も亦吾党の士だ。』とか云つて、幾度も幾度も杖で此不格好な頭を擲つたものだ。然し今日は、幸ひ杖を携へて居なかつたので、丁寧に手で撫でてやつた。目を転ずると、杉の木立の隙《ひま》から見える限り、野も山も美しく薄紅葉して居る。宛然《さながら》一幅の風景画の傑作だ。周匝《あたり》には心地よい秋草の香が流れて居る。此香は又、自分を十幾年の昔に返した。郷校から程近い平田野《へいだの》といふ松原、晴れた日曜の茸狩《たけがり》に、この秋草の香と初茸の香とを嗅ぎ分けつつ、いとけなき自分は、其処の松蔭、此処の松蔭と探し歩いたものであつた。――
昼餐《ひるげ》をば神子田《みこだ》のお苑《その》さんといふ従姉(新山堂の伯母さんの二番目娘で、自分より三歳の姉である。)の家で済ました。食後、お苑さんは、去年生れた可愛い赤坊の小さい頭を撫で乍ら、『ひとつ
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