々として生ひ乱れて居る。自分は之を見て唯無性に心悲《うらがな》しくなつた。暫らく其材木の端に腰掛けて、昔の事を懐ふて見やうかとも思つたが、イヤ待て恁《こん》な昼日中に、宛然《さながら》人生の横町と謂つた様な此処を彷徨《うろつ》いて何か明処《あかるみ》で考へられぬ事を考へて居るのではないかと、通りがかりの巡査に怪まれでもしては、一代の不覚と思ひ返して止めた。然し若し此時、かの藻外と二人であつたなら、屹度|外見《みえ》を憚《はばか》らずに何か詩的な立廻を始めたに違ひない。兎角人間は孤独の時に心弱いものである。此|三《みつ》の変遷は、自分には毫も難有くない変遷である。恁《こん》な変様《かはりやう》をする位なら、寧ろ依然《やはり》『眠れる都会』であつて呉れた方が、自分並びに『美しい追憶の都』のために祝すべきであるのだ。以前《もと》平屋造で、一寸見には妾の八人も置く富豪の御本宅かと思はれた県庁は、東京の某省に似せて建てたとかで、今は大層立派な二階立の洋館になつて居るし、盛岡の銀座通と誰かの冷評《ひやか》した肴町《さかなちやう》呉服町《ごふくちやう》には、一度神田の小川町で見た事のある様な本屋や文
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