んにょう+囘」、第4水準2−12−11]訪と、外に北上河畔に於ける厨川柵を中心とした安倍氏勃興の史料について、少しく實地踏査を要する事があつて、五年振に此盛岡には歸つて來たのである。新山堂《しんざんどう》と呼ばるる稻荷神社の直背後《すぐうしろ》の、母とは二歳《ふたつ》違ひの姉なる伯母の家に車の轅《ながえ》を下させて、出迎へた五年前に比して別に老の見えぬ伯母に、『マア、浩さんの大きくなつた事!』と云はれて、新調の背廣姿を見上げ見下しされたのは、實に一昨日《をとつひ》の秋風すずろに蒼古の市に吹き渡る穩やかな黄昏時《たそがれどき》であつた。

 遠く岩手《いはて》、姫神《ひめかみ》、南昌《なんしやう》、早池峰《はやちね》の四峰を繞《めぐ》らして、近くは、月に名のある鑢山《たゝらやま》、黄牛《あめうし》の背に似た岩山《いはやま》、杉の木立の色鮮かな愛宕山《あたごやま》を控へ、河鹿《かじか》鳴くなる中津川の淺瀬に跨り、水音|緩《ゆる》き北上の流に臨み、貞任《さだたふ》の昔忍ばるる夕顏瀬橋、青銅の擬寶珠《ぎばうしゆ》の古色滴る許りなる上《かみ》中《なか》の二橋、杉土堤《すぎどて》の夕暮紅の如き明治
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