さい寺の、巨《おほ》きい栗樹《くりのき》の下の墓地へ行つて、青草に埋れた石塔に腰打掛けて一人泣いたり、學校へ行つても、倫理の講堂で竊《そつ》と『亂れ髮』を出して讀んだりした時代の事や、――すべて慕《なつ》かしい過去の追想の多くは、皆この中津河畔の美しい市《まち》を舞臺に取つて居る。盛岡は實に自分の第二の故郷なんだ。『美しい追憶の都』なんだ。
十八歳の春、一先づこの第二の故郷を退いて、第一の故郷に歸つた。そして十幾ケ月の間閑雲野鶴を友として暮したが、五年以前の秋、思立つて都門の客となり、さる高名な歴史家の書生となつた。翌年は文部省の檢定試驗を受けて、歴史科中等教員の免状を貰うた。唯茲に一つ殘念なのは、東洋のギボンを以て自ら任じて居た自分であるのに、試驗の成績の、怪しい哉、左程上の部でなかつた事である。今は茨城縣第○中學の助教諭、兩親と小妹とをば、昨年の暮任地に呼び寄せて、餘裕もない代り、別に窮迫もせぬ家庭を作つた。
今年の夏は、校長から常陸郷土史の材料蒐集を囑託せられて、一箇月半の樂しい休暇を全く其爲めに送つたので、今九月の下旬、特別を以て三週間の賜暇を許され、展墓と親戚の※[#「え
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