橋の眺めもよく、若しそれ市の中央に巍然として立つ不來方城《こずかたじやう》に登つて瞰下《みおろ》せば、高き低き茅葺柾葺の屋根々々が、茂れる樹々の葉蔭に立ち並んで見える此盛岡は、實に誰が見ても美しい日本の都會の一つには洩れぬ。誰やらが初めて此|市《まち》に遊んで、『杜陵《とりよう》は東北の京都なり。』と云つた事があるさうな。『東北の京都』と近代的な言葉で云へばあ餘り感心しないが、自分は『みちのくの平安城』と風雅な呼方をするを好む。
 この美しい盛岡の、最も自分の氣に入つて見える時は、一日の中では夜、天候では雨、四季の中では秋である。この三を綜合すると、雨の降る秋の夜[#「雨の降る秋の夜」に傍点]が一番好い事になるが、然しそれでは完全に過ぎて、餘り淋し過ぎる。一體自分は歴史家であるから、開闢以來此世界に現れた、人、物、事、に就いては、少くとも文字に殘されて居る限りは大方知つて居るつもりであるが、未嘗て、『完全なる』といふ形容詞を眞正面から冠せることの出來る奴には、一人《ひとり》も、一個《ひとつ》も、一度《ひとたび》も、出會《でつくわ》した事がない。隨つて自分は、『完全』といふ事には極めて同
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