都會に決して無い事、否、有るべからざる事であるが、然し此盛岡には常にある事、否、之あるがために却つて盛岡の盛岡たる所以を發揮して見せる必要な條件であるのだ。されば自分は、之を見て敢て醜惡を感ぜなんだのみならず、却つて或る一種の興味を覺えた。そして靜かに門内に足を入れた。
 校内の案内は能《よ》く知つて居る。門から直ぐ左に折れた、ヅカ/\と小使室の入口に進んだ。
『鹿川先生は、モウお退出《ひけ》になりましたか?』
 鹿川先生といふは、抑々の創始《はじめ》から此學校と運命を偕《とも》にした、既に七十近い、徳望縣下に鳴る老儒者である。されば、今迄此處の講堂に出入した幾千と數の知れぬうら若い求學者の心よりする畏敬の情が、自ら此老先生の一身に聚《あつま》つて、其痩せて千年の鶴の如き老躯は、宛然《さながら》これ生きた教員の儀表となつて居る。自白すると自分の如きも昔二十幾人の教師に教を享けたるに不拘《かゝはらず》、今猶しみ/″\と思出して有難さに涙をこぼすのは、唯此鹿川先生一人であるのだ。今日の訪問の意味は、云はずと解つて居る。
 自分の問に對して、三秒か五秒の間答がなかつたが、霎時《しばらく》して
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