つて置く、以下に書き記す處は、或は此無限の生命ある世界に於て、殆んど一顧の値だに無き極々些末の一事件であるのかも知れない。されば若し此一文を讀む人があつたなら、その人は、『何だ立花、君は這※[#「麻かんむり/「公」の「八」の右を取る」、第4水準2−94−57]《こんな》事を眞面目腐つて書いたのか。』と頭から自分を嘲笑《あざわら》ふかも知れない。が然し、此一事件は、自分といふ小なる一人物の、小なる二十幾年の生涯に於て、親しく出會《でくわ》した事件の中では、最も大なる、最も深い意味の事件であると信ずる。自分は恁《かう》信じたからこそ、此市《こゝ》の名物の長澤屋の豆銀糖でお茶を飮み乍ら、稚ない時から好きであつた伯母さんと昔談《むかしばなし》をする樂みをさへ擲ち去つて、明《あか》からぬ五分心の洋燈《ランプ》の前に、筆の澁りに汗ばみ乍ら此苦業を續けるのだ。
又斷つて置く、自分は既に此事件を以て親《みづか》ら出會《でくわ》した事件中の最大事件と信じ、其爲に二十幾年養ひ來つた全思想を根柢から搖崩された。そして、今新らしい心的生涯の原頭に立つた。――然《さう》だ、今自分の立つて居る處は、慥かに『原頭
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