ばならぬのである。『或る他の一記事』といふのは、此場合に於て決して木に竹をつぐ底《てい》の突飛なる記事ではないと自分は信ずる。否、或は、此の記事を撰む方が却つて一層秋の盛岡なるものを適切に表はす所以であるのかも知れない。何故なれば、此一記事といふのは、美しい盛岡の秋三ケ月の中、最も美しい九月下旬の一日、乃ち今日ひと日の中に起つた一事件に外ならぬからである。
實際を白状すると、自分が先刻晩餐を濟ましてから、少許《すこし》調査物《しらべもの》があるからと云つて話好の伯母さんを避け、此十疊の奧座敷に立籠つて、餘り明《あか》からぬ五分心の洋燈《ランプ》の前に此筆を取上げたのは、實は、今日自分が偶然路上で出會《でくわ》した一事件――自分と何等の關係もないに不拘《かゝはらず》、自分の全思想を根柢から搖崩《ゆりくづ》した一事件――乃ち以下に書き記す一記事を、永く/\忘れざらむためであつたのだ。然も自分が此|稀有《けう》なる出來事に對する極度の熱心は、如何にして、何處で、此出來事に逢つたかといふ事を説明するために、實に如上數千言の不要《むだ》なる記述を試むるをさへ、敢て勞としなかつたのである。
斷
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