、お由の家の障子に影法師が映つて、張のない聲に高く低く節附けた歌が聞える。
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『あしきをはらうて救けたまへ、天理王のみこと。……この世の地と、天とをかたどりて、夫婦をこしらへきたるでな。これはこの世のはじめだし。……一列すまして甘露臺。』
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 歌に伴れて障子の影法師が踊る。妙な手附をして、腰を振り、足を動かす。或は大きく朦乎《ぼんやり》と映り、或は小く分明《はつきり》と映る。
『チヨッ。』と馬子は舌鼓《したうち》した。『フム、また狐の眞似|演《し》てらア!』
『オイ お申婆《さるばあ》でねえか?』と、直ぐ又大きい聲を出した。丁度その時、一人の人影が草履の音を忍ばせて、此家に入らうとしたので。『アイサ。』と、人影は暗い軒下に立留つて、四邊《あたり》を憚る樣に答へた。『隣の兄哥《あにい》か? 早かつたなす。』
『早く歸《けえ》つて寢る事《こつ》た。恁※[#「麻かんむり/「公」の「八」の右を取る」、第4水準2−94−57]《こんな》時何處ウ徘徊《うろつ》くだべえ。天理樣拜んで赤痢神が取附《とつつ》かねえだら、ハア、何で醫者藥が
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