頼みするに病氣なんかするものぢやないがな。』
 流石に巡査の目を憚つて、日が暮れるのを待つて御供水を貰ひに來る嬶共は、有乎無乎《なけなし》の小袋を引敝《ひつぱた》いて葡萄酒を買つて來る樣になつた。松太郎はそれを犧卓《にへづくゑ》に供へて、祈祷をし、御神樂を踊つて、その葡萄酒を勿體らしく御供水に割つて、持たして歸す。殘つたのは自分が飮むのだ。お由の家の臺所の棚には、葡萄酒の空瓶が十八九本も竝んだ。


 奈何したのか、鍛冶屋の響も今夜は例《いつ》になく早く止んだ。高く流るゝ天の河の下に、村は死骸の樣に默してゐる。今し方、提灯が一つ、フラ/\と人魂の樣に、役場と覺しき門から迷ひ出て、半町許りで見えなくなつた。
 お由の家の大爐には、チロリ/\と焚火が燃えて、居並ぶ種々の顏を赤く黒く隈取つた。近所の嬶共が三四人、中には一番遲れて來たお申婆《さるばばあ》もゐた。
 祈祷も御神樂も濟んだ。松太郎は、トロリと醉つて了つた、だらしなく横座に胡坐をかいてゐる。髮の毛の延びた頭がグラリと前に垂れた。葡萄酒の瓶がその後に倒れ、漬物の皿、破茶碗などが四邊《あたり》に散亂《ちらば》つてゐる。『其※[#「麻かん
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