の咲いた畑徑《はたけみち》を、唯一人東山へ登つて見た。何の風情もない、饅頭笠を伏せた樣な芝山で、逶※[#「しんにょう+施のつくり」、第3水準1−92−52]《うねくね》した徑《みち》が嶺に盡きると、太い杉の樹が矗々《すく/\》と、八九本立つてゐて、二間四方の荒れ果てた愛宕神社の祠《ほこら》。
 その祠の階段に腰を掛けると、此處よりは少し低目の、同じ形の西山に眞面《まとも》に對合つた。間が淺い凹地になつて、浮世の廢道と謂つた樣な、塵白く、石多い、通り少ない往還が、其底を一直線に貫いてゐる。兩つの丘陵は中腹から耕されて、夷《なだら》かな勾配を作つた畑が家々の裏口まで迫つた。村が一目に瞰下される。
 その往還にも、昔は、電信柱が行儀よく並んで、毎日午近くなると、調子面白い喇叭の音を澄んだ山國の空氣に響かせて、赤く黄ろく塗った圓太郎馬車が、南から北から、勇しくこの村に躍り込んだものだ。その喇叭の音は、二十年來|礑《はた》と聞こえずなつた。隣村に停車場が出來てから通りが絶えて、電信柱さへ何日しか取除かれたので。
 その頃は又、村に相應な旅籠屋も三四軒あり、俥も十輛近くあつた。荷馬車と駄馬は家毎の
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