今年五十二とやら、以前十里許り離れた某町に住つてゐたが、鉈、鎌、鉞などの荒道具が得意な代り、此人の鍛《う》つた包丁は刄《は》が脆いといふ評判、結局は其土地を喰詰めて、五年前にこの村に移つた。他所者といふが第一、加之《それに》、頑固で、片意地で、お世辯一つ言はぬ性なもんだから、兎角村人に親しみが薄い。重兵衞はそれが平常《ひごろ》の遺恨で、些つとした手紙位は手づから書けるのを自慢に、益々頭が高くなつた。規定《きまり》以外の村の費目《いりめ》の割當などに、最先に苦情を言ひ出すのは此人に限る。其處へ以て松太郎が來た。聽いて見ると間違つた理窟でもなし、村寺の酒飮和尚《さけのみをしやう》よりは神々の名も澤山に知つてゐる。天理樣の有難味も了解《のみこ》んで了解《のみこ》めぬことが無ささうだ。好矣《よし》、俺が一番先に信者になつて、村の衆の鼻毛を拔いてやらうと、初めて松太郎の話を聽いた晩に寢床の中で度胸を決めて了つたのだ。尤も、重兵衞の遠縁の親戚が二軒、遙《ずつ》と隔つた處にゐて、既《とう》から天理教に歸依してるといふ事は、豫て手紙で知つてもゐ、一昨年の暮弟の家に不幸のあつた時、その親戚からも人が來て
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